お金を考える

【お金の歴史】貨幣の歴史と銀行の成り立ち、そして日本銀行設立の背景。

どうも、とがみんです。

現在、何気なく使われている「お金」ですが、どのようにして「お金」という概念ができあがり、どのようにして「お金」が流通するようになったのかを考えたことはあるでしょうか。

この記事では、「経済は世界史から学べ!」という本を読んだ上で、

お金とはなんなのか、お金の歴史、銀行の成り立ち、また、日本の中央銀行である「日本銀行」の設立背景について調べたので、まとめていきます。

お金とは?銀行とは?

貨幣(お金)の歴史、銀行の成り立ちを考えていくにあたって、まず、現代の貨幣(お金)とは何か、銀行とは何かについてまとめます。

貨幣(お金)とは?

貨幣(お金)とは、商品やサービスを交換する際の媒介物です。
ちなみに、通貨とは、貨幣(お金)の流通範囲を表す言葉で、「その国で通用する貨幣(お金)」のことです。

貨幣(お金)は、物の価値を測る役割や、商品交換を媒介する役割を持っています。

>貨幣と通貨の違い・日本の貨幣の歴史

銀行とは?

銀行とは、預金の受け入れと資金の貸し出し(融資)を合わせて行う金融機関のことで、その中でも、国の中核となる、公的な銀行のことを中央銀行といいます。

日本では日本銀行(日銀)、イギリスでは、イングランド銀行、欧州連合(EU)は欧州中央銀行(ECB)、アメリカではFRB(The Federal Reserve Board)が中央銀行に当たります。

その役割は、物価の安定を図ることを通じて、経済の健全な発展を支えることで、通貨の発行や、利率の調整等の金融政策を行うことによって物価の安定を図ります。

>中央銀行の役割を知る

貨幣(お金)や銀行は、日常生活の経済を支える上で重要なものとなっています。

では、次に、どのようにして、貨幣(お金)や、今の中央銀行ができあがったのか、その歴史についてまとめていきます。

貨幣(お金)の歴史と銀行の成り立ち

お金がなかった時代(物々交換の時代)

お金がなかった時代、人々は欲しい物があるときには、自分が持っているものと、欲しい物を交換する物々交換をしてくらしていました。

魚をたくさん持っている漁師が、肉をたくさんもっている狩人と交換するといった感じです。

物々交換の媒介物「金・銀」等の登場

しかし、上記のような「物々交換」だと問題が発生します。

漁師はたくさん魚がとれたけど、狩人は肉をたくさん獲れなかったといった状況だと、交換するためのお肉がないため、漁師は肉と交換できません。

魚は保存が効かないので、置いておくと腐ってしまいます。

そこで、漁師は、

「保存が効いて、みんなが欲しがるものにいったん交換しておこう。」

ということで、稲(米)や布などに交換し、肉が十分にあるときに、その稲と肉を交換しようとなります。

こうして、物々交換を媒介する物が生まれ、それがより保存が効いて、希少価値の高い、金や銀等、硬貨に置き換わっていきました。

それら、金・銀は各国の国王や支配者が発行し、次第に国民はそれらを用いて商取引をするようになりました。

「紙幣」と「銀行」の登場

金や銀等の鉱物は貴金属としての価値もあり、保存も効き、利便性は高かったのですが、「金」は柔らかいためにすり減ったり、盗まれる危険性があったため、

丈夫な金庫を持った金庫番(金融業者、政府)に自分の「金」を預けるようになりました。そして、預けた代わりに、「金銀の預かり証」を受け取りました。

また、金銀は、一定重量があるため、高額な取引には向きませんでした。

その預かり証は、いつでも金銀と交換することができ、また、金庫番(金融業者、政府)はたくさん金銀を持っていたために信用されたため、

国民の間では、この預かり証で取引が行われるようになっていきました。

また、金庫番(金融業者、政府)の元には大量の金銀があったため、すべての金の量を上限に、紙幣(預かり証)を発行し、利子付きで貸し出しするようになりました。

このようにして、金庫番(金融業者、政府)は金を担保に紙幣(預かり証)を発行するようになり、貸し出しも行うようになりました。

この金庫番が、銀行としての役割を果たしていきます。

「金・銀」からの「紙幣」の独立

「金・銀」を担保に「紙幣」が発行され、その紙幣を使って、取引が行われるようになっていったのですが、

金や銀の取れる量には、限りがあるため、人口が増え、経済が発展すると共に、紙幣の量が足りなくなっていきました。

また、金庫番(金融業者、政府)は、国民が一斉に金と交換に来ないだろうと考え、

これまでは、所持している「金・銀」等の総量までしか紙幣を発行することができませんでしたが、

お札の量不足問題を解決するために、金銀の総量に関係なく紙幣を発行できるような仕組みに変更しました。

紙幣と金の交換が保証されている「金本位制」から、通貨の発行量を調節することによって、物価の安定や経済の成長を行う「管理通貨制度」へ変更しました。

これにより、「紙幣」は、金銀等との交換が不可能となり、「紙幣」は金銀から独立しました。

変更前と、変更後の仕組みは以下のような感じです。

変更前の仕組み:紙幣と金の交換が保証されている(金本位制)

「金銀」を預け、その分の預かり証(紙幣)を受け取る。

預金をする際は、金銀を預け、その分の預かり証を受けとります。

「金銀等の資産の総量を限度に紙幣を発行し、貸し出しを行う。」

  1. 銀行が所持している分を限度に紙幣を発行する。
  2. 発行したお金を利子付きで貸し出します。
  3. 借りた人は、借りたお金で経済活動を行い、金融業社に返済します。
  4. 金融業者は、預かり金のうち、利子分の利益を得る

変更後の仕組み:管理通貨制度

「金銀等の資産の総量関係なく紙幣を発行し、貸し出しを行う。」

  1. まず、お金を借りたい人がいれば、「無」からお金を作り出します。
  2. 無から作り出したお金を利子付きで貸し出します。
  3. 借りた人は、借りたお金で経済活動を行い、金融業社に返済します。貸出し金は無からつくられたため、消滅し、利息分お金が得られます。
  4. 得たお金は、市場で使われて実態価値と交換されます。

管理通貨制度:通貨の発行量を金保有量の増減に直接リンクさせることなく、通貨管理主体がその流通量を調整する制度

変更前の仕組みだと、お金(紙幣)は実体価値(金銀)と交換することができ、かつ金銀は価値のあるものとされていたため、紙幣は信用されていました。

仕組みの変更後、お金(紙幣)は「金銀」といった実体価値との交換ではなく、「無」から作り出されるようになっため、金銀といった絶対的な価値が基準ではなくなりました。

「無」から作り出されたお金の信用は、価値のあるものといつでも交換できるという「信用」がベースになっています。

「お金」の価値は、「実体価値」と「お金の総量」によって決まり、銀行は様々な金融政策によって、その通貨の価値を安定化する役割を担っています。

この仕組みは、現在の金融の仕組みであり、「信用創造」と呼ばれています。

日本銀行設立の歴史

上記で、今の金融システムである「信用創造」という仕組みができあがるまでの貨幣の歴史について、まとめてきました。

最後に、日本の中央銀行である日本銀行ができるまでについて簡単にまとめていきます。

江戸時代、金貨銀貨等通貨の統合

日本では、徳川家の江戸幕府(政府)が金銀山の開発をし、金銀山の支配を進めていきました。

そして、この時期には、様々な金貨銀貨等の貨幣が流通していましたが、それら貨幣の統合が緩やかに行われていきました。

明治維新後、政府紙幣の発行

そして、明治維新後、明治新政府は、従来の金貨、銀貨、藩札などを、そのまま通用させる一方、政府紙幣を発行し、金銀と交換ができる「金本位制」の紙幣制度の確立を目指していきました。

しかし、当時の日本では、金銀の量が不足していたため、1876年には「国立銀行条例」が改定され、金との交換が保証されない「不換紙幣」の発行が認められ、金等との交換の義務を廃止し、国債を銀行資本にすることが認められました。

>国立銀行条例|Wikipedia

1887年 西南戦争での紙幣乱発

国立銀行条例改定よく年、明治10年の1877年に、西南戦争が勃発し

金との交換が保証されない「不換紙幣」の発行が認められ、金等との交換の義務が廃止されたことによって、政府は、戦費調達のために、大量に紙幣を発行しました。

その結果、市場への紙幣の供給量が増え、通貨の価値が下がり、物価が暴騰する激しいインフレーションが発生しました。

1881年 日本銀行設立、銀行が責任を持ち金本位制をすすめる

政府が紙幣を大量に発行し、インフレが起こっしまったため、1881年に大蔵卿(現在の財務大臣)に就任した松方正義が、物価の暴落を起こすインフレーションの原因となった、政府の通貨発行の暴走を起こさないようにするために、

日本の中央銀行である日本銀行を設立し、紙幣価値の安定を図るために、不換紙幣(金銀との交換が保証されない紙幣)の整理を図り、金等と交換できる銀行券を発行しました。

こうして、通貨の発行権を政府から分離し、日本銀行に集中させました。銀行が責任を持って、金本位制をすすめていきました。

1929年 ウォール街での株価暴落「世界恐慌」管理通貨制度へ

1929年ニューヨークのウォール街での株価暴落をきっかけとする世界恐慌の影響で、イギリス始め、欧州各国は金本位制を停止し、同年に日本も金本位制から離脱しました。

日本は、1942年に、公布された日本銀行法により、今日に繋がる管理通貨性へと移行していきました。

この管理通貨制度のもとでは、日本銀行券は金貨と交換不可能であり、通貨の発行量は中央銀行が調節することになりました。

>中央銀行 | Wikipedia
>日本銀行創立の経緯について教えてください。:日本銀行
>日本銀行と日本橋
>日本貨幣史|貨幣博物館

まとめ

お金の歴史について、銀行の成り立ち、そして、最後に日本銀行が設立されるまでの過程を簡単にまとめました。

参考文献

>中央銀行の役割を知る
>戦後70年間の金融ビジネスの歩み
>10分で分かる中央銀行の仕組み。中央銀行と紙幣の歴史

※上記の文章は「経済は世界史から学べ!」という本を読んだ上で、上記参考文献をもとにまとめたものです。間違い等ございましたら、以下のGoogleフォームからご指摘いただけると嬉しいです。

Googleフォーム