Fresopiya
場所にもお金にも時間にも、何にも縛られない自由な状態になったら一体人間は何をしてどこに向かうのか。 まずはとにかく自由を目指すエンジニアのブログです。

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自由と哲学

【自由と哲学】一体自由とはどういう状態なのか。究極の自由とその考察。

どうも、とがみんです。

「自由になりたい」そんな事を漠然と思っている人は多いんじゃないでしょうか。

そして、「自由になりたい」と思っている人は、現状何かしらの「不自由」を感じているのではないかと思います。

とがみんも、もちろん自由になりたいと思っていて、「お金」、「時間」の不自由を感じることが多いです。

そんなことを思いながらふと、

「自由ってそもそもどういう状態のことを言うのだろう。。。」

「どうすれば自由になれるのだろう。。。」

と考えるようになりました。

みなさんは、自由とはどういう状態のことをいうのか。

どうすれば自由を獲得できるのか、について真剣に考えたことがあるでしょうか。

この記事では、「自由な状態」とはどういう状態なのか、自由を突き詰めていった先みある「究極の自由」とはどういう状態なのかについて考えていきます。

人間はどういうときに不自由と感じるのか

「自由な状態」を考えるにあたって、まず、

どのような状態の時に人間は「不自由だ」と感じるのかについて考えていきます。

人間はどういう状態の時に「不自由だ」と感じるのか。

自分自身に対して、「自分が不自由だ」と感じる場合と、

「あの人は不自由だ」と感じる場合の2通りで考えてみます。

自分自身に対して感じる不自由

以下のような状況で、「自分は自由ではない」と感じる人が多いのではないかと思います。

  • 学生の時は、時間は比較的自由だけど、お金がなくてやりたい事ができなくて不自由を感じる。
  • 社会人になると、お金に余裕があるけど、自分がやりたい事に費やす時間がなくて不自由を感じる。

上記のように、「時間」「お金」という制限があるせいで、なかなか自由を感じる事が出来ない人は多いのではないでしょうか。

時間があれば、あれをやりたいけど。

お金があれば、あれをやりたいけど。

と、「やりたい事」があって、それが何らかの制限で出来ない状態の時に不自由を感じるのだと思います。

他者に対して感じる不自由

次に他者に対して、あの人は不自由だと決めつけてしまう事もあると思うのですが、その事について考えてみます。

みなさんは、あの人は不自由だと決めつけてしまうような事があったでしょうか?

イケハヤさんの以下のTweetに関して、

会社を辞めて、より広い世界を知ることによって、会社員時代には知り得なかった自由を知れたことが読み取れます。

一度広い世界を認識できてしまったら、より狭い世界しか認識できていない人に対して、「あの人は不自由だ」とか感じてしまうことがあるのではないでしょうか。

もう1つ例を考えてみます。例えば、刑務所の中で、生まれ、刑務所の中の世界しか知らない人がいたとします。

刑務所の中で、毎日起きて、何かしら仕事、作業して、寝るという生活を繰り返していたとします。その人にとって、その生活があたり前なので、何も不自由を感じていません。

ただし、刑務所の外側にいる人からしたら、その人を不自由な人だとみなしてしまうかと思います。

「ずっと刑務所の中にいないと行けず、外に出て海外旅行とかできず不自由だ。」と

次に一般化して考えます。

上図で、「青色」の世界しか認識できない人にとっては「E」「F」という選択肢しか知りません。

しかし、「オレンジ色」の世界を認識できる人にとっては、「E」「F」という選択肢以外に、「D」という選択肢を認識でき、

かつ、その「D」という選択肢をとることによって、より自由度の高い生活を送ることを知っています。

こういう状態の時、「オレンジ色」の世界を認識できる人は、「青色」の世界しか認識できない人に対して、不自由だとみなしてしまうのではないかと思います。

また、「青色」の世界にいる人が、外の世界を知ったところで、不安や恐怖と言った感情から、行動に移せない人も多いと思います。

客観的に見ると、不安や恐怖に自由を制限された不自由な状態とみなせてしまうと思います。

このように、より広い世界を認識できる人にとって、より狭い世界しか認識できない人に対して、不自由だとみなしてしまうことがあるのではないでしょうか。

次に、上記の内容を踏まえて、究極の「自由」とはどういう状態なのかについて考えていきます。

自由な状態とは?究極の自由とは?

上記の内容から、以下のようなとき不自由だなと感じると考えました。

自分視点

やりたいことがあり、何らかの制限のせいで、できていない時。

他者視点

自分の知らない世界を認識できている他者から不自由だとみなされうる。

これらを元に、どういう状態が「自由な状態」と言えるのか、また、自由を突き詰めた、究極の自由とはどういう状態なのかについて考えます。

自由な状態とは?

自分視点で自由な状態とは、

  • やりたいことがあり、何の制限もなくそれができている状態。
  • やりたいことがなく、現状に満足しきっている状態。なになにをしたいといった意志が全くない場合、何かに制限されることすらないと思うので。
  • そもそも客観的に制限と感じられるようなことを制限と感じない状態。

他者視点で自由な状態とは、

  • 他者が知らない選択肢、他者と同じ選択肢を知った状態で、最適だと思う選択肢を選べる状態。

なんじゃないかなぁと思います。

これを踏まえて究極の自由について考えます。

究極の自由とは?

自由を徹底的に突き詰めていくと、どこかの何者かが、どう見ても「あの人は自由だ」といった状態にたどり着くと思います。

その状態が「究極の自由」であり、上記の自分目線、他者目線と言ったあらゆる視点での自由を満たした状態だと考えます。

そして、以下2つを満たした時に究極の自由を手に入れたと言っても良いのではないでしょうか(笑)

  • 自分目線で、自分を自由だとみなすためには、自分がやりたいことに対して、それを制限してしまう意識を取り除く。
  • 他者目線で誰にでも自由であるとみなされるためには、すべてを知る必要がある。下図の「A」の全てを認識できる状態にいる必要がある。

究極の自由は「神」という視点ですべてを認識できるまでは得られないのかもしれません(笑)

まとめ

自由な状態とはどういう状態なのか、究極的な自由とは何なのかについて考えました。

ただただ、自由な状態を目指すのであれば、「制限されていると言った意識」を取り除けば良いので、意識の問題だと思います。

そして、今の社会では、十分なお金と時間があれば大抵のその制限されているといった意識は除去できるんじゃないかなぁと思っているので、

どうやって、「お金」と「時間」の自由を得られるのかについてまずは考えていきます。

そして、究極の自由を目指すなら、あらゆることを知る努力も欠かせないんだろうなと思います。

自分が見えていない世界観なんて、まだまだ無数にあると思うので、一生突き詰めることのできそうなトピックですね(笑)

むしろ、人間が全てを知り尽くすことができるのか(笑)

兎にも角にも、知れば知るほど、「究極の自由」の定義がどんどん洗練されたものになっていくかと思うので、いろんな哲学者の考えとかも調べてみようかと思います。

はい。

場所にもお金にも時間にも、何にも縛られない自由な状態になったら一体人間は何をしてどこに向かうのか。

新たな不自由を発見し、

自由を求め、

より広い世界を認識し、

その繰り返しの中で人間はどんどん進化していくんだろうか?

地球という星にしか住めない人間に対して、地球外生命体から、「なんて人間は不自由なんだ」と思われてる可能性もないとは言い切れませんね(笑)

突き詰めれば果てしない(笑)