どうも、とがみんです。
みなさんは幽霊等、五感では感知できないような世界の存在についてどのように考えるでしょうか?
この記事では、五感で認識することができない霊界のような超感覚的世界の認識を、いかにして獲得するのか、霊能力をいかにして開花させるのかといった、
非感覚的な領域に対して、自然界の研究で身につけた理性的な思考を伴った科学的な態度で探求してきた神秘思想家「ルドルフ・シュタイナー」について紹介していきます。
Contents
ルドルフ ・シュタイナーの生涯
ルドルフ・シュタイナーは、1861年2月27日〜1925年3月30日にオーストリアやドイツで活動した、神秘思想家、哲学者、教育者です。
シュタイナーの生い立ちや、どのような思想の持ち主かについて、簡単にいくらかまとめていきます。
1868年 霊的世界の認識
シュタイナーは、1968年7歳の頃、物質界を超えた超感覚的世界、霊的な世界を認識するようになったといわれています。
霊眼、霊耳によって、この世ではない別な世界に由来する繊細な印象を覚え、木や石の内なる魂の空間に顕現する霊的な実態とも魂的に触れ合うようになったそうです。
1872年〜 実業学校時代
1872年11歳、ウィーナー・ノイシュタットにある実業学校に通うようになりました。シュタイナーは、自然現象の本質に到達することで、自らの霊体験を把握することを試みていたそうで、その知的好奇心がどんどん加速していきました。
学校の年報の中にあった原子と分子に関する論文に触発され、自然科学の文献を読み漁ったり、13歳の頃には、機械論的な世界解釈と、幾何学に没頭しました。
機械論的:自然科学に代表される現象一般を、心や精神、霊魂などの概念を用いずに、古典力学的な因果連鎖のみで解釈しようとする立場。
14歳になると、宗教学の書物のうち、教義学、象徴学、典礼学、教誨師を夢中になって読むようになり、15歳の時には、レッシングやヘルバルト哲学の立場から書かれた「哲学入門」や「心理学」、16歳の頃には、カントの「純粋理性批判学」をよみふけり、自然と創造行為がいかなる関係にあるのかを理解しようとしたといいます。
1879年〜 ウィーン工科大学時代
1879年18歳のころ、シュタイナーはウィーン大学に進学しました。大学では、数学、生物学、物理学、化学を学んでいました。
事物の根本をすべて物質に還元して説明する自然科学と、自身の霊的経験とのギャップに悩んでいたそうです。
また、工科大学にもかかわらず、独学でフィヒテ、トラウゴット・クルール、シェリング、ヘーゲル、ゲーテ、シラー、ハルトマンといった哲学者の思想を学んだり、聴講生として医学を学び、自身の霊的な認識と結びつけていったそうです。
学生生活の間も霊的認識は更に深まりを見せ、以下のように述べていたそうです。
しかし何と言っても、私は霊界を現実として視ていた。個々の人間の霊的個性が、私にはまざまざと見えた。霊的個性は、物質としての肉体や、物質界における行為に現れているにすぎなかった。霊的個性は、両親から肉体的な胚種として伝えられるものと一体化していた。私は死者の後を辿って霊界にまで至った。
そして、学生時代のある日、コグツキーという人物と会い、霊界について語りあう仲になり、その人の紹介で「霊的指導者」と呼ぶ導師と出会い、様々なアドバイスを受けたそうです。
1883年〜 ゲーテの論文との出会い
1883年、シュタイナーが22歳の時、当時の著名な出版家が、ドイツ文学史の教授カール・ユリウス・シュレーアーを通して、ゲーテの自然科学に関する著作を校訂して序文を書く仕事をシュタイナーに依頼しました。
霊を否定する近代の自然科学では、生命の本当の姿を捉えることができないと考えるシュタイナーは、自然(物質)と霊(精神)の架け橋を示すゲーテの世界観に可能性を感じ、その後もゲーテの自然科学論文集の出版に携わりました。
シュタイナーはゲーテに対して以下のような見解をもっていたそうです。
私の見る処、ゲーテは世界に対する人間の独特な霊的関係を理解しており、それ故また、自然認識を正当な方法で人間活動の全体性の中に位置付けることのできた人物である。
1893年 「自由の哲学」を出版
1893年、32歳になったシュタイナーは「自由の哲学」を出版するに至ります。
シュタイナーは、この「自由の哲学」において論証しようとしたのは、「感覚(物質)世界の背後に何か未知なものが存在するのではなく、感覚世界の中に霊的世界があるということであった。」と自伝の中で綴っています。
そして、1900年ごろから、次第に霊的事実を前提として、執筆や講演活動を行なうようになっていきました。
1917年 実践的な社会活動へ
第一次世界大戦中、シュタイナーは、彼自身が個々人に対して何か重要なことはできても、一般社会の悲嘆に暮れる無数の人々に明白な何かを提示することはできないかと心を痛めます。
そうした中で、戦争の真の原因を政治的外交問題ではなく、社会問題としてみなすべきであることを洞察し、その問題が、「政治」、「経済」、「精神」という三領域が、危機的に入り混じって入るという点にあるという結論にいたります。
そのため、人間が望む「自由・平等・友愛」は、一元的に考えた場合、同時に両立する事は矛盾を生じるものの、精神(霊)に自由を、政治(権利)に平等を、経済に友愛を、それぞれを作用させることがこの問題を解消すると提唱します。
社会を一つの有機体として捉え、その機能を三文節化するという独自の論理を展開しました。
1919年 学校設立とシュタイナー教育
シュタイナーは1919年のシュトットガルトのタバコ工場での成人教育問題する講演をきっかけに、聴講者から新しいタイプの人間味のある学校教育を求める声が高まり、「自由ヴァルドフ学校」を設立することになります。
その評判がどんどん高まっていき、教育に関する講演活動を行う他、教育者の育成にも尽力を注ぐようになります。
シュタイナーの教育は、子供が誕生する以前の霊的経緯の延長として捉えられており、今日において、様々な教育問題を解決する教育理念として世界的に評価が高まっています。
ルドルフシュタイナーが残した言葉
最後にルドルフシュタイナーが残した言葉についていくつか紹介します。
最高の感情は、「おのずと」現れてくる感情なのではなく、精力的な思考作業の中で獲得される感情なのである。
出典:「神智学」ちくま学芸文庫
死とは、物質界の現実として考察するなら、体の機能のひとつの変化である。
出典:「神智学」ちくま学芸文庫
学ぶ者は、いかなる瞬間も、異質の世界を容れることのできる、まったく空の容器になることができなければならない。
出典:『神智学』ルドルフ・シュタイナー 高橋巌訳 ちくま学芸文庫
宇宙を認識したければ、汝自身を見るがよい。人間を認識したければ、宇宙を見るがよい。
出典:ルドルフ・シュタイナーの黒板絵
人間よ、お前は宇宙の縮小された姿だ。宇宙よ、お前は遥かな果てにまで流れ出た人間の本質だ。
出典:ルドルフ・シュタイナー遺された黒板絵
まとめ
霊的な事柄についても、理性的な思考を伴った科学的な態度で探求するということを重要視し、探求してきたルドルフシュタイナーについて紹介してきました。
現代では「シュタイナー教育」が広く知られており、また、シュタイナーが書いた様々な本の内容は非常に深い内容だと個人的には感じています。
気になる方は少し難しいですが、以下の本を読んでみてはどうでしょうか。
参考文献等
>ルドルフ・シュタイナーと人智学協会
>ルドルフ・シュタイナー|Wikipedia